人力移動Blog

登山、シンプルライフ、旅行などなど…

祖母の葬儀

先週末母方の祖母の葬儀があり、北東北へ行きました。南東北では春の到来を感じつつあったのが、同じ東北でも北は吹雪でした。車を走らせながら、私の小学校の入学式が雪だったことを思い出しました。

葬儀

恥ずかしながら、いい歳して最初から最後まで葬儀に参列したのは初めてでした。私の実家は家系の上では傍流で、親が葬儀に出席しても、私自身が参列する機会はありませんでした。私も歳をとったというか、久しぶりに見た親戚も相応の歳になっており、これから自然と機会が増えるのだろうな、と思うと気が重くなりました。

葬儀はごく身近な親戚のみで、とても静かなお葬式でした。それでも檀家となっている寺のお坊さんは立派な御経をあげてくださったし、祖母の家のご近所さんも、いろいろと私たち家族が知らなかった祖母の一面について話してくれたり、感慨深いものでした。

祖母と思い出

祖母は訳あって一人暮らしで、ご近所さんから「最近姿を見ない」という連絡で親戚が尋ねたところ、ひっそりと亡くなっていたのでした。

私は子供のころ、夏休みに祖母の家に遊びに行くのが楽しみでした。当時の祖母の家は山奥の農村でしたが、川の水で冷やしたスイカ、沢蟹取り、岩魚釣りなど、幼少期の象徴的な、良い思い出です。当時は親戚一同皆祖母の元に集まる機会があり、年末年始は料理を囲んでワイワイ楽しくやった記憶がありますが、いつの間にか祖母の家は一人暮らしになり、親戚一同があつまる拠点ではなくなっていました。考えてみると、昔仲良くしていた親戚も、その頃から自然と疎遠となり、随分と関係が希薄になってしまったようです。

寂しい最期

祖母は山奥から出たことがなかった「田舎のおばあちゃん」である上、働くのが生きがいで、とてもとても強気の人でした。そのため、相談事は通じず、なかなか現在の世間の常識では付き合えず、次第に皆の足が遠のいてしまい、親戚が集まる機会も年々減り、最近では私も正月やお盆のとき、ちょっと顔を出して挨拶もそこそこに、仏壇に手を合わせてすぐに立ち去るような状態でした。

祖母は亡くなる直前まで元気で、一人で庭いじりや雪かきしていたことをご近所さんから聞きました。何度か異変があり、外で眠り込んでいたことがあったようですが、現在のご近所さんともそれほど仲が良くなく、そういった症状がたまに様子を見に行く叔父の耳に入らなかったため、病院に行くことができず、死期を早めたのかなとも思います。叔父の耳に入ったとしても、病院には行かなかったかもしれませんが…

結束

一昨年の年末は母が倒れ、最近疎遠だった叔父と小まめに連絡を取るようになっていました。皮肉なことに、そのおかげで母と叔父の連携がうまくいき、葬儀の段取りはしっかりできたようです?

私も今回の葬儀にあたり、いざという時に知っていないと困る、本来もっと仲良くしておくべき親戚と顔を合わせ、話し合う機会をもたせてもらいましたし、色々と自分の立場(私も頚椎症性神経根症を患う歳です)や今後のことについて考える機会になりました。

祖母の死は寂しく悲しい出来事でしたが、ある意味親戚との結束や考える機会となったのは、おばあちゃんの最期の贈り物だったのかもしれません。